Column 01
親が認知症で、実家を売れない。
それでも「貸す」ならできることがあります。
「母が施設に入って、実家が空いた。売って施設費用に充てたい。でも母はもう契約の意味が分からない」——この状態のご相談を、私たちは毎月のようにお受けします。結論から申し上げると、売却も賃貸も、ご家族の一存では進められません。ただし、進め方の難しさには差があります。そして待っている間も、家は傷み、費用は出ていきます。
お父様お母様が認知症と診断され、実家が空き家になった。固定資産税の通知書だけが毎年届く。庭は伸び、郵便受けはあふれ、近所の目も気になる。施設の費用は毎月出ていく。だから売りたい——ところが不動産会社に相談したら「ご本人の意思確認ができないと売買契約はできません」と言われた。ここで話が止まってしまったご家族に、私たちは何度もお会いしてきました。
まず、なぜ止まるのかをはっきりさせておきます。不動産の売買も賃貸も、法律上は「契約」です。契約が有効に成立するには、契約する本人に意思能力——自分が何をしているのか、それによってどうなるのかを理解する力——が必要です。認知症が進んでこの力を失った方が結んだ契約は、後から無効になります。無効になるということは、買った人も貸りた人も、いつ引っくり返るか分からない不安定な立場に置かれるということです。だから不動産会社も司法書士も、そこで手を止めます。意地悪をしているのではなく、止めるのが正しい対応なのです。
そして、ここが多くの方が誤解されている点なのですが、「子どもだから」「介護しているから」という理由で、親の不動産を代わりに処分する権利は発生しません。親子であっても、財産は別人格のものです。実印と権利証を預かっていても同じです。名義が親である以上、動かせるのは親本人か、法的に代理権を与えられた人だけです。
では打つ手がないのか。そんなことはありません。ただ、手段は判断能力がどの段階にあるかで、はっきり分かれます。
まだ話ができるうちに決まることと、越えてしまってから決まること
もしお父様お母様と、まだ財産の話ができる状態であれば、この先を読む前にやっていただきたいことがあります。「この家をどうしたいか」を本人の口から聞いて、記録に残すことです。売ってもいい、と言うのか。誰かに住んでもらうならいい、と言うのか。手放すのは嫌だ、と言うのか。この一言があるかどうかで、後のご家族の重さがまるで違います。
そのうえで、判断能力があるうちだけ使える仕組みが二つあります。ひとつは家族信託(民事信託)。財産の管理権限をあらかじめ信頼できる家族に移しておく契約で、認知症になった後も、その家族の判断で売却や賃貸ができます。もうひとつは任意後見。判断能力が低下したときに誰に後見人になってもらうかを、自分で決めて公正証書にしておく制度です。どちらも「本人が契約できる状態」でなければ使えません。だから、診断が出た直後の、まだ会話が成り立つ時期が、実は一番大事な分かれ道になります。
すでに越えてしまっている場合。残る道は法定後見(成年後見)の一本です。家庭裁判所に申立てをして、本人の代わりに財産を管理する人(成年後見人)を選任してもらいます。申立てができるのは本人・配偶者・四親等内の親族などで、診断書や財産目録を添えて申し立て、審理を経て選任されます。地域や事案によりますが、申立てから選任までおおむね二か月から四か月を見ておく必要があります。ここを「思い立ってすぐ売れる」と誤解していると、資金計画が狂います。
申立てにかかる費用も知っておいてください。収入印紙や登記手数料、郵便切手といった実費は一万円前後で収まりますが、多くの事案で家庭裁判所から求められる本人の鑑定費用が別途十万円前後かかることがあります。申立書類の作成を司法書士や弁護士に依頼すれば、その報酬も加わります。そして申し立てる人は自分で決められますが、誰が後見人になるかを選ぶのは家庭裁判所です。「長男が申し立てたから長男が後見人になる」とは限りません。財産の額が大きい場合や、親族間で意見が割れている場合は、専門職が選ばれる傾向があります。
| 家族信託 | 任意後見 | 法定後見 | |
|---|---|---|---|
| いつ決めるか | 判断能力があるうち | 判断能力があるうち | 失ってからでも可 |
| 誰が管理するか | 本人が指名した家族 | 本人が指名した人 | 家庭裁判所が選任 |
| 実家を貸すには | 受託者の判断で可能 | 後見監督人の関与あり | 家裁の許可が必要 |
| 続く期間 | 契約で定めた期間 | 本人が亡くなるまで | 本人が亡くなるまで |
| 継続的な費用 | 原則なし | 監督人報酬 | 後見人報酬(専門職の場合) |
この表を見ていただくと、認知症の診断が出た「直後」がいかに大事な時期かがお分かりいただけると思います。診断名がついた=もう何もできない、ではありません。契約の内容を理解できる状態が残っているかどうかが分かれ目で、それは医師の診断書や公証人の判断によります。ご家族が「まだ大丈夫だろう」と先送りしている間に、左の二列が使えなくなっていく——それが私たちが現場で何度も見てきた景色です。
後見人がついても、実家は自動的には売れません
ここも誤解の多いところです。成年後見人が選任されれば何でもできるようになる、と思われがちですが、違います。本人の居住用不動産を処分するには、あらためて家庭裁判所の許可が必要です(民法859条の3)。この「処分」には、売却だけでなく、賃貸に出すこと、賃貸借契約を解除すること、抵当権を設定することも含まれます。後見人の一存では決められません。
さらに気をつけたいのが「居住用かどうか」の判断です。すでに施設に入っていて誰も住んでいないから居住用ではない、とは限りません。実務では、過去に生活の本拠であった住まいで、本人が将来そこへ戻る可能性が残っている場合、現に空き家であっても居住用不動産として扱われることが一般的です。住民票の場所、家財がそのまま残っているか、本人が「帰りたい」と言っているか——こうした事情が総合的に見られます。ですから、実家については「許可がいるもの」と考えて段取りを組むのが安全です。
許可の申立てでは、なぜその処分が本人の利益になるのかを説明します。売却であれば、施設費用や医療費に充てる必要があること、その価格が適正であること、他に換価できる財産がないこと。賃貸であれば、空き家のまま置くより収入が生まれ、建物の劣化も抑えられること。家庭裁判所が見ているのは終始一貫して「本人にとって得か」という一点です。ご家族の都合ではありません。
それでも私たちが「まず貸す」をお勧めする理由
ここまで読んで、売るのも貸すのも大変じゃないか、と思われたはずです。そのとおりです。ただ、同じ大変さの中でも、賃貸のほうが説明しやすく、後戻りもきくという違いがあります。
売却は一度きりの、取り返しのつかない処分です。相場より安く売ってしまえば本人の財産が減り、後で親族間の争いの種にもなります。家庭裁判所も慎重にならざるを得ません。一方で賃貸は、所有権を手放さずに、空いている資産から収入を生む行為です。その家賃はご本人の財産となり、施設費用や医療費に充てられます。建物は人が住むことで換気され、傷みの進行が止まります。つまり「本人にとって得か」という裁判所の物差しに対して、素直に説明のつく形なのです。
そしてご家族にとっては、結論を先送りできるという価値があります。売るか残すかを、今この混乱の中で決めなくていい。数年貸して、状況が落ち着き、相続が発生し、名義が整理されてから、あらためて売却を考えればいい。その間、家は空っぽで朽ちていくのではなく、誰かの暮らしの器として使われ、毎月お金を生んでいます。
「でも、一度貸したら戻れなくなるのでは」という心配もよくうかがいます。ここには使える仕組みがあります。定期借家契約です。ふつうの賃貸借契約(普通借家)は、貸主の都合で終わらせることができません。契約期間が来ても、正当な事由がなければ更新を拒めず、実務では立退料が必要になることもあります。これに対して定期借家は、あらかじめ定めた期間が来れば、更新されずに確実に終了する契約です。三年後に売却を考えている、あるいは本人が戻ってくる可能性を残しておきたい——そういうご事情には、この形が合います。
ただし定期借家は、契約書とは別に「更新がない契約である」ことを書面で事前に説明する手続きが必要で、これを欠くと普通借家として扱われてしまいます。締結の手順が普通借家より厳密なぶん、慣れていない業者が扱うと事故になります。私たちが契約前に必ず、どちらの契約形態でお預かりするかを明示しているのはそのためです。家賃相場は普通借家よりいくらか下がる傾向がありますが、出口の自由と引き換えの価格差だと考えていただくのが実態に近いと思います。
私たちが管理費0円でお預かりする理由
富士ヶ丘サービスは、磐田市で介護施設を運営しながら、宅地建物取引業者として不動産の相談を受けてきた会社です。認知症のご本人と、その家をどうするかで悩むご家族を、介護の現場で誰よりも近くで見てきました。そこで分かったのは、多くのご家族に必要なのは「今すぐ売ること」ではなく、落ち着いて決めるための時間だということでした。
だから私たちは、戸建て賃貸として家をお預かりする際、オーナー様から月々の管理料をいただきません。理由は単純で、私たちの本業が売買仲介だからです。いずれ売る日が来たとき、その売却をご一緒できればそれで成り立ちます。賃貸管理料を収益の柱にしている賃貸専業の会社とは、そこが根本的に違います。貸している間ずっと預かり続けることが利益になる会社と、売り時が来たら「今なら売れます」と言える会社とでは、お客様に届く言葉が変わってしまうと考えています。
現在、磐田市・袋井市を中心に9件を管理費0円でお預かりしています。すべてに借主がついています。もちろん、0円なのは管理料であって、修繕費や原状回復費、固定資産税、火災保険料といった実費と、賃貸借契約時の仲介手数料は別途かかります。そこを曖昧にするつもりはありません。
この記事のまとめ
- 認知症で判断能力を失った方の不動産は、子であっても代わりに売買・賃貸はできません。名義人本人か、法的な代理権を持つ人だけが動かせます。
- まだ会話ができるうちなら家族信託・任意後見という道があります。越えてしまうと、残るのは法定後見の一本です。
- 後見人が選任されても自動では動けません。居住用不動産は、売却も賃貸も家庭裁判所の許可が必要です。空き家でも居住用と扱われるのが一般的です。
- 成年後見は原則としてご本人が亡くなるまで続き、専門職が就けば継続的な報酬が発生します。入口で全体像を知ってください。
- 売却より賃貸のほうが、「本人にとって得か」という裁判所の物差しに説明がつきやすく、後戻りもききます。
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本記事は2026年8月時点の一般的な整理であり、個別のご事情に対する法務・税務の最終判断ではありません。成年後見の申立てや家庭裁判所の許可の要否・見通しは、ご本人の状態や財産構成、物件の事情によって異なります。実際の手続きにあたっては、家庭裁判所、司法書士、弁護士、税理士など各専門家の確認を必ず受けてください。当社は宅地建物取引業者として、不動産の状態確認・賃料の見立て・募集と管理の部分をお手伝いします。